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関西プラッと便 歴史の宝庫・竹内街道と二上山を歩く

関西プラッと便

2013年11月15日掲載

  大阪と奈良を結び、日本最古の国道と呼ばれる竹内街道が11月で敷設1400年を迎えました。沿道には、その歴史を語る寺社や遺跡が数多く残っています。今回は、古い町並みが残る大阪・太子町周辺を散策し、奈良・葛城市に入って二上山(標高517メートル)を歩きました。

地図

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■日本最古の国道・竹内街道
  午前8時30分ごろ、近鉄上ノ太子駅に着きました。山を歩くので早めに家を出ました。駅の標高はすでに50メートルあります。目の前の道が竹内街道です。
  街道は大阪・堺市の大小路から東に向かい竹内峠を越えて葛城市の長尾神社に至るまでの全長約26キロです。日本書紀によると、推古天皇21年(613年)11月の条に「難波(なにわ)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記述があり、日本で初めての国道(官道)として敷設されたことがわかっています。
  街道を東に進みます。ゆるやかな坂道です。コンビニがあったので甘いものを買います。疲れた時の栄養補給です。さらに、10分ほど歩くと、「春日西」の交差があり、ここで車道と分かれて旧道を歩きます。細い道で車はほとんど通りません。昔ながらの黒い板壁や白い壁の民家が多く見られ、約2キロ続く古い町並みの風情を楽しみましょう。

■聖徳太子が眠る叡福寺
  太子町には聖徳太子(574-622)のお墓があります。道標に「聖徳太子御廟(聖徳太子磯長墓)」とあったので、寄り道します。街道から少し離れた磯長山叡福寺の境内奥にあり、直径50メートル、高さ10メートルの円墳です。生母の穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后、妃の膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)とともに祀られています。
  叡福寺は法隆寺、四天王寺と並んで太子信仰の中核をなした寺院。お寺の人は「太子の建立伝説がある八尾市(大阪)の大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)を〈下の太子〉、羽曳野市(大阪)の野中寺(やちゅうじ)を〈中の太子〉というのに対し、叡福寺は〈上の太子〉と呼ばれて親しまれ、駅の名前にもなりました」と話します。
  この周辺には推古天皇陵、孝徳天皇陵、用明天皇陵、小野妹子墓など約30基の古墳があり、一帯を巡るのも楽しいでしょう。

■歴史資料館に立ち寄って古代史を学ぶ
  再び、街道に戻って東に向かうと「竹内街道歴史資料館」がありました。標高は約140メートルに達しています。資料館では街道と太子町の歴史を表や写真、マジックビジョンを使ってわかりやすく紹介しています。街道は海外使節を迎えるために造られ、大陸から中国や朝鮮の文化や美術品がもたらされました。その後も、太子信仰や西国三十三所巡礼、伊勢参りの人々でにぎわい、現在では国道166号となっています。
  多くの人や物が通過した道。正倉院にある宝物もきっと遠い昔、シルクロードを経由してこの道を通ったのでしょう。

■二上山展望台から望むあべのハルカスは壮大
  資料館を出て道の駅「近つ飛鳥の里太子」を過ぎたところで国道166号に合流して坂道を30分ほど上ります。坂道と言っても自転車で上るにはすこしきつく感じる程度の坂です。
  左側に釣り堀が見えると、「二上山万葉の森」です。道路に「登山口」と書かれた大きな看板が見えます。ここの標高は約230メートルです。甘いものを口に入れて少し休憩しましょう。
  さあいよいよ山歩きの始まりです。時刻は午前11時ごろです。道が二手に分かれているので、石で舗装された広い道を進んでください。まっすぐ進むと山頂です。途中で、ばてないようにゆっくり歩き、こまめに休憩を取り、水を飲みましょう。カメラで撮影しながら歩くと、その度に立ち止まり休むことができます。「山で撮っていいのは写真だけ。残していいのは思い出だけ」という言葉があります。ゴミを残さないルールも守りましょう。
  と言っている間に展望台(420メートル)に着きました。ここまで50分かかっています。大阪平野がよく見えます。ひときわ高いのは「あべのハルカス」です。

■悲劇のプリンス大津皇子を偲ぶ
  ところで、二上山の名前は頂が2つあることに由来しています。1つは雄岳(517メートル)、もう1つを雌岳(474メートル)と言います。展望台から、20分ほど上ると雌岳の頂に着きました。周辺にはベンチもあるのでお昼にしましょう。携帯用のガスコンロを使ってラーメンを作っている人もいます。寒いときには温まります。
  次はいったん馬の背(443メートル)に降りて雄岳に向かいます。20分ほど上ると頂上があり、100メートル離れたところに「大津皇子二上山墓」がありました。天武天皇の皇子で謀反の疑いをかけられ、24歳で自害に追い込まれた悲劇のプリンスです。悲しんだ姉の大来皇女が詠み、万葉集に収められた「うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む」(現世に生きる私は、明日から二上山をわが弟と見て偲びましょう)「磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君がありといはなくに」、(岸のほとりの馬酔木を手折ろうと思うけれど、見せるべきあなたはもういない)の2首は、しみじみとした気持ちにさせてくれます。

■帰りは中将姫伝説の當麻寺へ
  さて、ここから近鉄二上山、二上神社口方面に下山してもいいのですが、最後のお楽しみがあるので馬の背に戻り、祐泉寺方面への道を下ります。かなり急な下り道で一部濡れているところもあります。登り終えて油断しているとけがのもとです。十分注意してください。
  祐泉寺を過ぎたら道はかなり緩やかになります。ここまで来たらのんびりと帰りましょう。途中で中将姫と當麻曼陀羅で知られる「當麻寺」に参拝したあと近鉄当麻寺駅前にあるお餅屋「中将堂本舗」に入ります。ここの中将餅を楽しみにしていました。お餅2個に煎茶がついて300円。口に入れるとよもぎ餅の上のあんこの上品な甘さが広がります。やはりあんこは日本人の甘さの原点です。
※(2013年10月末取材)

メモ
<竹内街道>
日本書紀に記された「大道」(おおじ)は大阪・難波京から堺市に南下し、堺・金岡から葛城市を経由して飛鳥京までとされます。竹内街道はこのうち堺から葛城市までが重なっています。

<竹内街道歴史資料館>
開館時間は午前9時30分~午後5時(ただし入館は午後4時30分まで)。休館日は月曜・火曜(祝日場合は翌日)。入館料は一般200円、高校大学生100円、小中学生50円。

<二上山>
死火山の二上山は古代から日本人の生活に深く関わってきました。サヌカイトを産出し、数万年前の旧石器時代から弥生時代に至るまで石器として利用されてきました。5、6世紀には凝灰岩が切り出され、古墳の石棺として使われました。明治以降は研磨剤として金剛砂が大量に生産されました。

<中将姫伝説>
奈良時代の右大臣藤原豊成公の娘、中将姫は継母に嫌われていじめを受けますが、仏教に帰依して當麻寺に入り、一夜にして蓮糸で約4メートル四方の曼荼羅を織り上げました。その後、姫が29歳の春、阿弥陀如来に迎えられ、西方極楽浄土へ行ったとの伝説が残っています。

<ハイキングコースメモ>
上ノ太子駅~道の駅近つ飛鳥の里太子(約1時間10分)~二上山登山口(約30分)~展望台(約50分)~雌岳(約20分)~馬の背(約5分)~雄岳、大津皇子二上山墓(約30分)~祐泉寺(約50分)~當麻寺(約30分)~中将堂本舗、当麻寺駅(約15分)。時間はあくまで目安です。余裕を持ってスケジュールを作りましょう。

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