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関西プラッと便 天王寺を歩く 歴女や織田作之助ファンでにぎわう寺町界隈

関西プラッと便

2013年10月18日掲載

  あべのハルカスと大阪城。新旧のランドマークを結ぶ町筋には、多くの寺院や神社が並ぶ通称・寺町と呼ばれる地域があります。今も古い町並みに残る緑豊かな自然は、人々の心をいやしてくれます。大坂冬の陣の悲史を伝える境内もあり、歴史ロマンのテーマパークにもなっています。

地図

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■外国の使者もびっくり
  アベノから歩いて10分ほど。593年に聖徳太子が日本最古の官寺として創建した和宗総本山「四天王寺」に着きました。
  この日は「お大師さん(弘法大師)の日」(毎月21日)で、多くの露店が立ち並び、参詣者でにぎわいます。五重塔、金堂、講堂、六時堂の伽藍(がらん)は南北に並ぶ独特の構図です。創建当時の上町台地のすぐ西側は崖となり、その下まで海が迫っていたそうですが、海上から見た五重塔などは、壮大にそびえ立ち、外国からの使者を驚かせたでしょう。

■真田幸村最期の地
  四天王寺南門から西へ天王寺七坂の一つ「逢坂」を下ると、右手に「安居神社」がありました。祀っているのは「少彦名(すくなひこな)神」と「菅原道真公」。神社によると、道真公は九州に左遷され、船出する時に風待ちのため、この神社で休まれたといい、「安居天神」とも言われています。また、大坂冬の陣で真田幸村が討たれたのもこの境内で、幸村の像と碑があります。「最近は歴女(れきじょ)だけでなく、武将ゲームの流行で親子連れの参拝も増えています。子どもの方がよく知っていて大人がそれを聞いて勉強していますね」と中島一熈宮司。
  ちなみに、逢坂をはさんだ反対側にある一心寺と茶臼山は徳川家康が本陣を置いていました。一心寺には家康方の武将で戦死した本多忠朝の墓があります。

■大阪にも清水の舞台と滝
  神社を出て、滝のある清水寺に向かいます。名前通りに京都の清水寺を模して高台に造られ、音羽の滝にならった「玉出の滝」と「舞台」があります。滝の水は「天王寺七名水」の一つ。四天王寺の地下から流れてくる霊水と言われ、パワースポットブームの昨今、若い女性の参詣が増えています。300円払えば「滝の行」ができます。舞台に上ると眼下に大阪の街が広がりますが、かつては海に沈む夕日が見えたそうです。「夕日を見て西方の極楽浄土を思い描く『日想観』という瞑想方法があります。昔の人は瞑想しながら眺めを楽しんでいたのでしょう」と健代和央住職は話します。

■愛染かつらの前で愛を語る
  清水寺の周辺「寺町」は戦国時代の後、「大坂」の町が新たに造られるなかで、寺院が集められ、その町並みが今も残ります。息を弾ませながら愛染坂を上り、四天王寺の別院「勝鬘院(愛染堂)」へ。金堂に愛染明王が安置されていることから「愛染さん」として親しまれています。愛染さんは合縁成就、夫婦和合の本尊として有名で、境内には映画「愛染かつら」のモデルになった霊木があり、その前で愛を語った男女は幸せになるとの伝説があります。また、飲めば愛がかなうという愛染めの水を求めて訪れる若い女性が多いそうです。

■絶景の夕日を詠んで地名に
  愛染さんの近くにある家隆塚は、鎌倉時代初期の歌人・藤原家隆の墓と伝えられています。家隆は藤原定家と並び称される鎌倉時代の歌人で、新古今和歌集の編者の一人です。1236年に家隆が、この地に終の住み家となった「夕陽庵」(せきようあん)を設けて移り住み、「契りあれば難波の里に移り来て波の入り日を拝みつるかな」と詠んだのが夕陽丘の地名のいわれです。

■近松の舞台、生玉さん
  大阪の総鎮守、難波の大社とされる「生玉さん」こと生國玉神社は、伝承によれば、神武天皇が東征の際、難波碕(現在の上町台地)の先端に日本列島の神である生島大神・足島大神を祀り、国家安泰を祈願したことに始まる、としています。当初は今の大阪城の地にありましたが、築城に際して現在地に移されました。江戸時代には芝居小屋や見世物小屋が参道に立ち並び、上方落語の祖と言われる米澤彦八ら芸人たちが人気を競い、このにぎわいを近松門左衛門が「曽根崎心中」で取り上げています。

■落語で知る高津宮(神社)
  大阪に都を置いた仁徳天皇は民家に食事を作る煙が立ち上がっていないのを見て庶民の貧しい生活を知り、諸税を止めて救済したと言われています。その仁政を慕った清和天皇が888年に創建したのが高津宮(神社)です。こちらも、大阪城築城に際して現在地に移りましたが、高台にあって絵馬堂からの景色がよかったので料理屋、浄瑠璃小屋が並び、大阪名所になっています。この絵馬堂で恋患いした若旦那の相手の娘を探すために、四苦八苦する模様をおもしろおかしく語ったのが落語「崇徳院」。このほか「高津の富」「高倉狐」にも神社が登場し、笑いを誘います。
  まだまだおもしろいスポットが残っていますが、もう夕刻です。絵馬堂から西の空を見ると、海に沈む夕日ではなく、明るく輝くミナミのネオンの光が街を照らしていました。

【天王寺七坂】谷町筋と松屋町筋を結ぶ坂道。南から逢坂、天神坂、清水坂、愛染坂、口縄坂、源聖寺坂、真言坂があり、このうち口縄坂、源聖寺坂は織田作之助の小説に取り上げられています。

【天王寺七名水】玉出、安居、逢坂、増井、土佐、金竜、亀井の七水。このうち、泰聖寺にある金竜の水は眼病に効くとされ、将棋の王将、坂田三吉が患った時に、この水で目を洗ったと言われています。

【崇徳院】高津神社にお参りした若旦那が、出会った娘に一目惚れし恋患いで寝込んでしまいます。心配した親に頼まれた熊五郎が相手を探しますが、手がかりは、娘が若旦那に伝えた崇徳院の和歌「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」の上の句のみ。これだけを頼りに風呂屋や床屋で読み上げて相手の女性を探し当てたというお話です。

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