近鉄あべの本店80年の歴史「戦火の時代」

1940~1945
昭和15年~昭和20年

1939年より本格化した戦争の長期化に伴い、経済統制と深刻なモノ不足に直面した大鉄百貨店。
百貨店らしさが失われた時代でした。

戦時中の大鉄百貨店

1940-1945 昭和15年~昭和20年

1940 (昭和15年)
~強まる戦時色~

7月に発令された「七・七禁令」により贅沢品の販売が禁止され、百貨店の売場には従来の皮製品の代用品を販売していました。

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クジラの皮で作ったスポーツ用品
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戦時中のショーウインドウ

食料品・衣料品のほとんどが配給または切符制となり、「販売」から「割り当て」に。
また、軍需産業への売場提供や従業員の徴兵で、売る物も、場所も、人もいない状況でした。

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衣料切符とその袋
~合併と名称変更~

戦時下において国家的に交通事業調整が要請されたことから、関西でも様々な私鉄の統合・合併が広がり、鉄道を母体に持つ大鉄百貨店も、その影響を大きく受けました。

1941 (昭和16年)
[3月15日]

現・上本町店となる「大軌百貨店」を運営していた「大阪電気軌道(近畿日本鉄道の前身)」が「参宮急行電鉄」を合併、「関西急行鉄道株式会社」に改称。

1943 (昭和18年)
[2月]

「関西急行鉄道」、「大阪鉄道」と合併。
路線網が大幅に拡大されました。

1944 (昭和19年)
[4月1日]
「関急百貨店阿倍野店」に改称

「関西急行鉄道」が母体となった大鉄百貨店は、「関急百貨店阿倍野店」に改称。
同上本町店との2店舗体制で運営されました。

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「関急百貨店」の店旗
[6月1日]
「日本鉄道阿倍野百貨店」に改称

同年、関西急行鉄道と南海鉄道が合併、「近畿日本鉄道株式会社」が誕生。
それに伴い、「関急百貨店阿倍野店」は「日本鉄道阿倍野百貨店」改称されました。

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店名改称を伝える新聞広告
(大阪毎日新聞)
1945 (昭和20年)
~阿倍野店罹災~
[3月13日・14日]

13日夜から14日未明にかけて、大阪市をB29約90機が強襲。一夜で大部分が焼け野原になり、阿倍野店も2階以上を焼失し、外壁のみを残す廃墟と化しました。

[8月15日]

終戦

[12月]

阿倍野店復旧工事開始

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内部を焼失した阿倍野店
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一夜にして焼け野原となった大阪市内

あべのハルカス近鉄本店にて80年の歴史展開催!

写真パネルや資料の展示で
80年の歴史をご紹介します。

もっと詳しくご覧になりたい方!
期間
11月1日(水)~21日(火)※最終日は午後5時で閉場。
場所
ウイング館9階催会場
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